旧甚の丸邸
英名 | エリア |
---|---|
Former Jinnomaru Residence | 波浮港 |
1800年の波浮港開港後、秋廣平六が村造りに取り組み、港には全国から漁船が集まり目覚ましい発展を遂げました。旅館が軒を連ね、網元、商家は豪華な建物を造りました。
踊り子坂を昇り切った正面、大谷石の塀に囲まれた屋敷の中に、海鼠(なまこ)壁、石造2階建ての旧甚の丸邸があります。明治時代の建造で、大谷石、海鼠壁をはじめ、梁・床柱・廊下・棚板等に銘木を用いるなど、豪勢な暮らしぶりがうかがえます。海鼠壁や大谷石の移入は伊豆の下田の影響を多く受けています(大谷石に関しては諸説あり)。
船底天井の梁や中央の大柱、玄関や風呂場のタイル、陶器のトイレ、枯山水様式の庭園、漆喰装飾など随所に見応えがあります。蚕を飼育し、繭の生産に使われていた2階は、普通家屋の2階とは異なった造りになっています。土間の中央には椿油を絞った万力の跡があります。埋められていますが、油を溜める部分があったことがわかります。屋敷内には、文久時代に建造された石造りの倉庫があります。防犯・防火を意識したかなり堅牢なもので、家宝等の貴重品を収蔵していたと伝えられています。
港町として全盛を極めた時代、この辺りには網元の家々が建ち並び、波浮港地区の政治・経済の中心地でもありました。最盛期には5つあった石蔵のうち、2つが現存しています。