文化サイト

多様なジオ資源(地形・地質)と密接に関わりがある、
島民が伊豆大島で育んできた暮らしの知恵・生活・文化・文学・産業などの資源

英名 エリア
英名Yoshiya Shrine エリア元町

祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)・三原大明神であり、両神は同一神とされています。人々は、畏怖の念を抱いていた噴火を神の御業として受け止め、鎮火を祈願し、全島の総鎮守・三原大明神の遥拝所として吉谷の地に建立されたのが吉谷神社の始まりです。

1965(昭和40)年1月の元町大火で吉谷神社も被災し、社殿も庁屋も焼失してしまいました。その後、元町地区の区画整理事業が施行され、元の場所に社殿が再建されました。

境内社として、浜宮様の敬称で親しまれている浜宮龍王神、飛地境内社に薬師堂、愛宕神社・不動堂などがあります。境内には20基近くの祠が寄宮として祀られていますが、特定できるのは屋号や「水神様」と刻まれる石祠と、朱塗りの鳥居を持つ金比羅大権現です。

「吉谷神社の正月祭」は、噴火の鎮静祈願や犠牲者の鎮魂のため神子舞(みこまい)や手踊りなどを奉納する、1789年の『伊豆國大嶋差出帳』にも記録が残る歴史あるお祭りです。1958(昭和33)年には東京都無形民俗文化財に指定されています。南北2組に分かれ交代で年番を務めるのが慣例で、神子舞を年番の組が、鹿島踊りを非年番の組が演じます。女性とされる三原山の御神体が嫉妬しないよう、神子は10歳前後の男児が女装して務めます。厳粛なしきたりと踊りの伝統があり、それらは厳格に守られ今日に続いています。


参道左脇の祠群と三原講中碑


正月祭の神子舞


位置情報