文化サイト

多様なジオ資源(地形・地質)と密接に関わりがある、
島民が伊豆大島で育んできた暮らしの知恵・生活・文化・文学・産業などの資源

英名 エリア
英名Lava of Prayer for Victory エリア山頂カルデラ

表砂漠コースの途中、外輪山の火口壁上部に「必殺必勝」という文字が彫られた溶岩があります。砂山を登って近寄ってみると、さらに「皇紀二千六百五年 磯兵団」との文字が刻まれているのが確認できます。

皇紀2605年とは、西暦1945年にあたります。この刻字を手掛けたという、当時、陸軍軍曹であった小久保文雄氏が1979年に大島町役場を訪ねてきたことで、この文字のいきさつが明らかになりました。

第二次世界大戦末期、戦局不利の状況下で、本土決戦に備えて大島守備隊の兵力が強化されました。1945年6月に第321師団(磯兵団)を編成。現地大島で臨時動員された島民も含まれ、最終的に1万6,000人程にまで増員されました。8月15日、連隊本部に使用されていた御神火茶屋にて昭和天皇のラジオ放送を聴き、磯兵団は日本の敗戦を知ることとなりました。数日後、磯兵団長から、外輪山岩壁に「必殺必勝 皇紀二千六百五年 磯兵団」と刻むようにとの命令があり、師団の中から9名の石工職が集まり、一週間かけて岩に文字を彫りました。後に褪色してしまったようですが、当時、刻んだ文字は朱で塗り上げられたそうです。

敗戦を知った後にこの刻字を命令した兵団長の想いは計り知れないものがあり、大島に残された戦争の爪跡のひとつとして貴重な遺構といえます。


「必殺必勝」の左に小さく


通称「屏風岩」


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