文化サイト

多様なジオ資源(地形・地質)と密接に関わりがある、
島民が伊豆大島で育んできた暮らしの知恵・生活・文化・文学・産業などの資源

英名 エリア
英名Ruins of the Runway エリア山頂カルデラ

1935(昭和10)年、カルデラ縁の南西部から間伏方面へ8町半(約900m)のレールが敷かれ、滑走機(スライダー)に乗って外輪山斜面を滑降する「三原山滑走場」が建設されました。1923年発表の「波浮の港」が流行歌となり、1933年には火口投身自殺や読売新聞社火口探検が大々的に報道されたことにより、大島の観光ブームが巻き起こった時代のことです。

レールが敷設された辺りは、砂質の火砕流堆積物がカルデラの外側に広がってできた斜面で、周囲の硬い溶岩斜面より傾斜が緩いエリアです。滑走機には減速・停止ができる制動装置が備えられており、眼下に太平洋や伊豆半島・他の伊豆諸島の島々を眺めながら、終着点まで約2分で滑降できました。また、終着点からカルデラ縁までの引上線を利用し、約20分で外輪山を登ることも可能でした。始発点には「三原閣」、終着点には「阿知古亭」という茶屋があり、アンコ姿の女性が大島節などの歌や踊りで観光客を接待しました。

滑走機に乗った著名歌手の写真が広まったことも相まって人気を呼び、三原山の名所のひとつとなりました。しかし、戦時中の金属類回収令によってレールの供出を余儀なくされ、滑走場は1942年に閉鎖となりました。現在は、始発点があった場所にコンクリートの設備跡が確認できます。また、国土地理院地図には「滑台」という地名が残っています。


カーブを描いた下り線が2本
直登する上り線が1本


三原山滑走場案内


位置情報