文化サイト

多様なジオ資源(地形・地質)と密接に関わりがある、
島民が伊豆大島で育んできた暮らしの知恵・生活・文化・文学・産業などの資源

英名 エリア
英名Remains of Shimotakabora エリア元町

この火山島にいつから人々が住み始めたのか― その答えを見い出すために重要な役目を果たしたのが「下高洞遺跡」です。1982年から本格的な発掘調査が行われた結果、繰り返される噴火活動の中、少なくとも約8000年前から島に人の暮らしがあったことが明らかになりました。

出土地点によってA地区からD地区に分かれており、そのうちA~C地区が1986年に東京都史跡に指定されています。元町・湯の浜南端の海食崖下部、A地区からは、平坂式尖底土器、竪穴式住居跡、土坑、神津島産黒曜石の石鏃、軽石片、イノシシの頭骨など多数の遺物が出土しました。平坂式尖底土器が持ち込まれた時代から推定し、伊豆大島で最古の約8,000年前、縄文時代早期の遺跡とされました。B地区は崖の上に位置し、古墳時代末から奈良時代初頭までの遺物、C地区は崖の中腹に位置する縄文中期中頃の遺跡で、都立大島高校の教員と生徒たちによって、崩落した崖の中から多くの遺物が採集されました。さらに1986年には、そこから100mほど南のD地区で縄文時代後期・晩期の貝塚が発見されました。

島には生息していないイノシシの骨、神津島産の黒曜石、伊豆諸島で三宅島が北限とされるオオツタノハという貝で作られた腕輪などその出土品から、海を渡って他地域の縄文人との交流・交易があったことが想像されます。

なお、発掘調査が行われる以前、1978年伊豆大島近海地震によって現C地区付近の崖が崩れ、その土塊の中から椿の葉の印象化石が発見されています。

※海岸線の崖は年々侵食が進んでおり、景観が変わっています。


下高洞遺跡位置図


A地区:海岸の波打ち際に位置するため遺跡の保存も難しい


位置情報