竜ノ口遺跡
英名 | エリア |
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Remains of Tatsunokuchi | 野増・間伏 |
1901(明治34)年、東京大学人類学教室の坪井正五郎氏、鳥居龍蔵氏らの調査によって明らかにされ、「溶岩流下の石器時代遺跡」として初めて学会に発表された遺跡です。これを契機に伊豆諸島の考古学研究が始まりました。1988年には東京都史跡に指定されています。
野増・王の浜から700mほど南下した海食崖の中腹に、2~6mの分厚い溶岩流の断面と、その下に溶岩の熱を受けて赤く焼かれた層が見られます。この焼土層の深さ10~50cmに、縄文時代中期(約5500年前)の遺物として土器・石器・骨角器が出土しました。ただし、調査当時は石器時代の遺跡として扱われており、出土された神津島産の黒曜石から、坪井氏は両島間に当時から交通・交易があったと述べ、日本で初めて黒曜石交易が論じられました。
竜ノ口とは、海上からここを見ると、竜が口を開けているように見えたところからついた地名です。西日のよく当たるこの地で、伊豆半島や富士山を眺望しながら暮らしていた縄文人は、大噴火の鳴動に驚き、溶岩流がここに達する前に逃げ延びることができたのでしょうか。繰り返される噴火に時には生死を脅かされながら、この島での暮らしは火山とともにあったことが伺えます。
※海食崖がたびたび崩落しており危険なため、通常は立入禁止です。