文化サイト

多様なジオ資源(地形・地質)と密接に関わりがある、
島民が伊豆大島で育んできた暮らしの知恵・生活・文化・文学・産業などの資源

英名 エリア
英名Cave of En no Gyoja エリア泉津

役行者窟(えんのぎょうじゃくつ)は、修験道の開祖とされる行者、役小角(えんのおづぬ)が住み、修行したと伝えられる、間口約16m、高さ約11m、奥行約24mの洞窟です。1952年に東京都史跡、1955年に東京都旧跡に指定されています。

泉津・行者浜の突き当たりには、標高差 約300mの海食崖がそびえ立っています。この海食崖の下部100mの部分が、伊豆大島火山の誕生前、数十万年前まで活動していた古い火山島「行者窟(ぎょうじゃのいわや)火山」の残骸です。露出面から厚さ20~30mの3枚の分厚い溶岩流とその間に挟まれる厚いスコリア層の互層が確認されています。海岸沿いの岩壁には波浪による侵食で形成された複数の海食洞があり、そのひとつが役行者窟です。

役小角は、飛鳥時代に山岳を舞台として活躍した呪術者です。大和国葛城山の岩窟に長年こもって修行した結果、神通力を会得したとされています。699(文武天皇3)年、朝廷に対して謀反を企んでいるとの虚偽の密告に遭い、伊豆大島へ流刑となりました。しかし、夜になると雲に乗って富士山に赴き修行を重ねたとされています。

江戸時代以降に修験道の霊地として信仰を集め、洞窟内部には、入口中央に護摩壇、数段登ったところに祭壇が設置され、その奥に役小角の座像が安置されています。現在は、毎年6月15日に島内外の信者によって行者祭が行われています。

※海食崖がたびたび崩落しており危険なため、現在は立入禁止です。


行者窟火山の海食洞
(左の洞窟が役行者窟)


行者祭の護摩焚きの様子
かつては洞窟内で行われていた


位置情報